kashimarukoのブログ

書き専です。時々、気が向いたら記事を書いて上げています。

心を閉ざした人について簡単に考察してみた

心を開け。

なんてことを時々言われることがあるけど

どうしてそうしなければならないのだろうかと疑問が湧いてくる。

心を開いたところで、不躾な人間はヅケヅケと心の中に入ってこようとする。

ハッキリ言って不愉快でならない。

だから基本的に他人が嫌いだ。

それに何故、本音を言わなくてはならない?

そんなこと必要ないだろうと思う。

別に嘘をついている訳ではないから。

本当に不愉快だ。

言いたくないことまでいう必要はないから、体裁を繕うだけでいいだろうと思う。

それは違うのだろうか?

そもそも人間はどれほど仲がいいと言っても本音で語り合えば分かるというものではないだろう。

ただの幻想なのではないかとわたしは思っている。

では、もしわたしが仮に誰かを目の前にしていて、その相手が心を開いていなかったら?

うーむ、確かに少し違和感を抱くだろう。

嘘はつかないけれど本音は言わない。

そもそもわからない。

いや、逆に本音は聞きたくないと思ってしまうだろう。

本音を言わないからこそ、相手に対して恐れを抱くか、恐怖心を感じるか、そして、それを受け入れられるか?

そこだろうと思う。

心を開かないけれど嘘はなく誠実なら?

よほど心には大きな傷を抱えているのだろうと考える。

そして、そこには立ち入らない。

そうなると受け入れるか否かということすら必要なくなる。

前提条件が全てにおいてその後を決める、というのが大凡の答えだろう。

それならば自分はこのままで良さそうだ。