家の中が綺麗ですね。
いやぁ、どうもありがとうございます。
こんなやりとりをしている胸の内は穏やかではない。
どれだけ賞賛されたところで1円にもならないからだ。更に、そう言っている相手が何かしてくれるのか?といえば答えはNOだ。
心からの賞賛であれ、わたしは嬉しくないのだから。
褒め言葉を言った相手が本心から言ったとしても腹の中は分からない、と勘繰ってしまう。
口の上手い営業マンなら、褒めちぎっておけば財布の紐が緩むだろう、そう考える人もいるからね。
日々の努力を認められた瞬間は気分いいかもしれないが、それだけなのだ。
だから何だ、と言いたくなる。
当たり前のことをしていて、素晴らしい!!
なんて言われても嬉しくもない。
そりゃあ、言われないよりはマシ。
そのくらいでしょ。
至極当然のこと。
自分が汚い環境に我慢ができないからきれいにしているのです。
それを褒められても1ミリも嬉しくない。
建前と本音という便利なものです。はい。
じゃあ、仮に家の環境を一定以上の基準で清潔に維持しているから税金でも優遇されるのかい?
そんなもの無い。
では共に暮らしている配偶者の給料でも上がるのかい?
当然、あるわけ無い。
『あの人は褒められても喜ばないなんて』
なんて意味のない嫉妬の声だけが何処からか聞こえてきそうだ。
褒めて欲しくて家事をしているわけではないからね。
『そんなに褒めるのなら金くれよ。』
いっそのこと、そう言えたら気分いいのに。
控えめな謙遜をしながら心の内では毒舌かい。
そんな声が聞こえてくる。
人間って怖いなぁと我ながら苦笑いする。