小学生の頃、夏休みに家族で祖父母の暮らす田舎へ帰省した時のことだった。
ある日、祖父が私を連れて2人で散歩に行ってくると家族に伝え、私は祖父について歩いて行く。
いつもは話をしながら歩くのだが何故かその時は会話もない。
心なしか少し早く歩いているようで子供の私は離されないようについて行くのがやっとの状態。
おまけにその道は上り坂。
前を歩く祖父の背中を見ながら、
何故、私を散歩に連れ出したのだろうか?
きっと何か理由があるに違いない。
何か私に考えさせるためだったのか、理由は最後まで話しては貰えず、私から聞くことも無かった。
その日、その時間の中で私に何かしら考えさせるためだったのかも知れない。
坂道を上って行った先に小高い山がある。
歩きやすいように丸太で階段が整備されている遊歩道があり、そこをさらに山頂に向かって登って行く。
息が切れそうだと思いながらも黙って祖父の後を歩いて行く。
私はその日初めて小高い山の山頂から海を眺めた。
車の音も生活音も何も聞こえない。
聞こえてくるのは木々を揺らす風の音。
はるか前方に見える青い海と僅かに見える白波。
木陰からの景色は頑張って登ったご褒美だと感動したことをよく覚えている。
二言三言、祖父と言葉を交わしたのだが、何を話したのかはあまりよく覚えていない。
ただ、その景色を眺めながら私は思うことがあった。
ここまで歩いて来たことはとても大変で辛かった。しかし、山頂からの眺望はそれまでの辛さを忘れさせてくれるだけで無く、山頂まで歩いて来た達成感が自分に自信を与えてくれている。
しばらくそこで景色を2人で眺めた後、今度は祖父の家までの下り坂。
私は心も足どりも軽く意気揚々と祖父より数歩先を歩く。
ふと振り返った時に見上げた祖父はいつもの祖父とは違う、孫を見る目つきではなく、ひとりの人間として私の人間としての本質を見極めようとしているかのような眼差しだった。
その眼差しに私はいい加減な気持ちで生きるのではなく、ひとりの人間として恥じることなく生きていかなくてはならない。
人生の大先輩の祖父に半人前の子供ではなく、1人の人間として対等に接してくれたことに嬉しさよりも緊張感と精神的に成長していかねばならないと感じて背筋を伸ばしたことを記憶している。
その日以来、折に触れ祖父が伝えようとしたことを考えることが今日まで続いている。