kashimarukoのブログ

書き専です。時々、気が向いたら記事を書いて上げています。

機嫌直しの甘いものでご機嫌ヨロシク。

荒れているなぁ、わたし。

まぁ人間生きていれば腹の立つこともあるから当然のこと!

よし、開き直ろう!!

こんな時のために甘い食べ物は存在しているのだと都合よく解釈して、今日は自分の機嫌直しのための甘いものは何にするか思案中。

現金なもので、頭の中はすっかり甘いものでいっぱいになっている。

今度は、甘いものが決まらなくて苛立ったりして、、、。

笑って終わろう。

 

 

思いやりのない世の中は殺伐とした冷たい世界。

言いたいことすら言えない世の中に

再びなっただけのこと。

ただそれだけのことさ。

誰も彼も自分のことが大切。

その通りさ。

自分を大切にできない人間に

他人を大切になんてできないからさ。

何が問題かって?

思いやりが、

本当の思いやりがないだけさ。

思いやりと称して自己満足か親切の押し売り

ないしは親切の押し付けで喜ばなければ怒る。

そんなものは親切でも思いやりでもない、それ以下の代物だから。

本当の思いやりは、時に、心を尽くした方も傷つくことだってあることを忘れているか、知らない人間だから。

そんな人間ばかりだから、言いたいことすら言えない以前に言わないのさ。

 

 

いつもとは違う景色の中で食べるお弁当は何倍も美味しい

今週のお題「お弁当」

急ぎ足の春の陽気に花たちも咲き急いでいる。

もう少し、ゆっくりと咲かせていて欲しいと

願う気持ちは風に掻き消されていく。

少し切ない気持ちと、揺れる彩豊かな花たちの

可憐で力強い姿に元気をもらう。

足元に気を取られている間に、桜の木の多くは新緑の眩しい葉桜へと装いを変えていた。

花の香かおる風は新緑の香りを運んできはじめ初夏の到来を告げているこの頃。

これからは緑が色濃くなっていく様を楽しめる季節の始まり。

そんな日に緑を眺めながら広げるお弁当は

いつもよりも何倍も美味しくなる。

あなたのお弁当もきっとそうに違いない。

 

見上げる空はいつも私の目を楽しませ心を落ち着かせてくれる

青い空 

季節によって違う青色が見れるから

空を見上げるのはとても楽しい

 

春は少し薄めでも澄んだ青色

初夏の頃には少しだけ青が深まる

 

夏の空は青色が深く濃く厚くなる

雲も白く空の青色を引き立てる

雷雲も色が濃く高くて強い

 

秋の空は春のそれと似ているように見えて違う

春の空よりも高く澄んでその高さは天井を知らないようだ

天高く強い風に吹かれてなびく箒雲

その青さには少しだけ冷たさが混じる

時間を追うごとに冷たさは増していく

 

冬の空はとても冷たく澄んで青さは夏とは違う濃さがある

空気が冷たく澄んでいることもあって、吸い込まれてしまいそう

空に浮かぶ雲は白く綿のように見える

忽ちのうちに青空を隠してしまう。

 

季節で違う青空の色はいつ見ても飽きない

心が安らぐ時間を教えてくれる。

無事に育ってほしいと見守る紫蘇の新芽

三度目の挑戦で赤紫蘇の新芽が苗床に顔を出した。

庭で取った赤紫蘇で紫蘇ジュースを作るのが目的で、可能であればふりかけも作ってみたい。

数年前には青紫蘇で作ったら美味しくて堪らなかった。

飲み終えた後の清涼感がなんとも言えず、夏の食欲が落ちた時などには丁度よく胃の調子を整えてくれることと余計な添加物もなく健康的で経済的でもある。 

紫蘇の爽やかな香りは夏のお惣菜には欠かせない。

夏はもっぱら納豆には紫蘇、ネギはたまに。

冷奴や冷や汁、素麺などの薬味としてあげたらキリが無くなりそう。

今年もまた爽やかな香りで食欲が増す夏がやってくる。

暑すぎる気温で作物が枯れなければ良いと願うばかりだ。

どうやって励ますのか考えても結果は出なかった

励ます。

やっぱり難しい。

相手のことを知っていればの話だったら、まだいいけれど知らないと逆に難しい。

でも、その逆もあるしね。

どんな励ましが欲しいのかだって分からないし。

以前、同僚だった人に

心に響く言葉が欲しい!!

そう言われた時は一瞬『はい?』

って思って目が点になったのを覚えている。

一体何があったのか聞いた上で幾つか言った中の最後に発した言葉が気に入ったらしく、爽やかな笑顔でお礼を言われたけど複雑だった。 

わたしは頭をフル回転させてクタクタなのにって。

まぁ、それでもチームが上手く機能するならお安い御用と奉仕の精神で務めさせてもらいました。

 

簡単なのか難しいのかはわからないけど、笑顔になってその人が前向きになってくれたら一番嬉しいのは間違いないこと。

では、わたしのことは誰が励ましてくれるかって?

それは、大親友であるわたし自身。

 

わたしが使えなくなった励ましの言葉

『大丈夫』『頑張って』『あなたなら出来る』

よく耳にしそうな励ましの言葉の数々は挙げたらキリがない。

私はこれらの言葉を極力使わないようにしている。使えないと言った方が早いだろうか。

人生、誰しもが極限まで追い詰められると見えてくるものがある。

人間の決して表には出てこない醜い本性が見えてしまうようになるからだ。

かく言う私も本当は見たくもない、知りたくもない。

けれど既に遅く他人の言葉の裏の感情に気付くことが多く、この為に他人とのコミュニケーションは避けている方だ。

これが人付き合いが悪いと言われている、又はそう思われている理由だ。

少し前までは頭で考えて話したいと思っていても口が全く動かず何も言えない状態だったのだから。

調べてみたら自律神経の問題と分かって安心したけれど、まさか自分がそうなるとは思っても見なかった。

ただその事実を受け入れる時に、自分の心理状態が極めて悪かったと認識せざるを得なかった。

だから他人と関わる時は文章を書いて交わす方が楽でいい。

直ぐに返事をしなくて済むからね。

話が長くなってしまったけれど、これらの理由から安易に使えなくなった、というよりも、その励ましの言葉がその人を時に追い詰め、また鞭打つような言葉となり最悪の場合は肯定ではなく、相手のことを全否定することにもなることを身をもって知ったから。

では、どうやって励ますのかは別の記事にしようと思う。

長くなりそうだからね。